我が子が生き抜く世界の未来に絶望しそうになった時に/椎名林檎「孤独のあかつき」(親目線)

子を持つ親としての使命は、突き詰めれば

・世界の広さと、未来の可能性に気づかせてあげる
・たくましく生き抜いていける自己肯定感をはぐくむ

の2つだ。あとは子ども自身が切り開いて生き抜き選んでいくものだ、と思っている。
あくまで個人的な想いでしかないけれど。

と同時に、裏腹に、世の中の・日本の・世界の生きづらさや醜悪さを目の当たりにする度に、この世界が彼/彼女を押しつぶしてしまわないだろうか、という心配は尽きない。
この世界は、彼/彼女が生きるに値する世界なのだろうか、と。

 

 ♪


椎名林檎の「孤独のあかつき」という曲が大好きだ。

アルバム「日出処」にも収録されてはいるのだが、リアレンジ&英語詞になっている。これはこれで素晴らしいのだけど、おすすめしたいのは「いろはにほへと/孤独のあかつき」両A面シングルとしてリリースされたバージョン。

 

歌詞は珍しく林檎嬢ではなく「カーネーション」脚本の渡辺あや

で、この歌詞が…素晴らしい。
いろんな読み方はできるけど、幼児の親としては、親目線で聞いてしまう。
子どもに対する想いが、純化された言葉として結晶されている。

愛情に溺れることなく、厳しさも感じる目線。
椎名林檎のボーカルの素晴らしさも相まって、風の吹きすさぶ荒野に、静かに力強く立ちながら愛情をもって子を見守っているかのような情感を感じる。

 

程よい距離感を持った子どもへの歌といえば、奥田民生の「息子」を思い出す。


想いのベクトルは似通っているが、「孤独のあかつき」は照れずに研ぎ澄ました言葉で歌われる分、詞曲が刺さってくる。


子は可愛い。親バカという名の魔法がかかっているから、何がどうあれ可愛い。
その生命は、その姿は、その成長は日々輝いて見える。

しかし、想いをやがて彼/彼女がいずれ飛び出していく世界に向けると、そこは厳しく、時に醜悪で、絶望すら覚える場所だ。
子を案じる気持ちは果てしなくあるけれど、子を親として護ってあげられる時間はそう長くはないことも知っている。

そして愛情を注ぐ子自身も、いずれ自身の中に決して清らかとは言えない想いや欲望を育む時が来る。そのことは、親は自分の体験として知っている。
そして、人としての定めに従い、いつかは死ぬ。
それでも、やっぱり、君の生命は尊いものだし、美しい。そんな君を愛している。

 

というような想いを、「孤独のあかつき」を聴いて何度も再確認した気がする。
それはやっぱり、親として、個人として日々生きていく中で、世の中にうんざりすることが多々あるわけで。
子どもの未来を考えると悪い予想しかできなかったりすることもあるわけで。
そんな時、この曲を聴いて、強く優しい親としての佇まいを自分にインストールしなおして、頑張っていっている。という訳です。